引き続き盛岡市内の啄木歌碑をめぐります。郊外になりますが盛岡市内
東方の丘陵に岩山公園があり、ここには珍しい啄木夫妻の夫婦歌碑!?
があり、文字は啄木の自筆と自筆文字から集めた字を使用しています。

「汽車の窓 はるかに北に故郷の 山見えくれば襟を正すも」石川啄木
「光淡く こほろぎ啼きし夕より 秋の入り来とこの胸抱きぬ」石川節子

そしてこの夫婦の新婚時代の住居が市内中央通3丁目に現存しています。
新婚の家といってもわずか3週間暮らしただけのようですが、こと啄木の
生活史を見るならひとつひとつのライフステージは短期間なものばかり。
ですから3週間だからといって切り捨てにするわけにはゆかないのです。
この建物は萱葺きのもので現在は屋内も公開されています。啄木自筆の書
や写真、節子愛用の琴などが展示されています。

さらにやっぱり石川啄木記念館ははずせません。生まれ故郷である渋民村、
今は盛岡市渋民9番地にありますが、詩人が理想の家と考えていたらしい
白い洋館風の建物で、啄木の自筆書簡やノート、日誌などに加え写真や
映像の展示などがあります。敷地内には旧渋民尋常小学校の一部や、
啄木一家が間借りをしていた旧齋藤家が移築保存されています。また
記念館からそれほど遠くない渋民字鶴塚55には盛岡市立渋民図館があり、
啄木の図書や資料を揃えた啄木コーナーが設置されています。

そしていよいよ盛岡を発って啄木が目指した北海道へ向かいましょう。
私事ながら筆者が大学生だった今から40年前、もちろん東北新幹線は
まだなく、東北本線の特急「はつかり」で盛岡・青森間を2時間要して
いた記憶があります。そしてその後津軽海峡を渡る青函連絡船が4時間、
乗り換え時間を含めると当時盛岡・函館間に7時間ほどかかっていたこと
になります。これが啄木の時代だと盛岡・青森に約6時間、連絡船は4時間
と変わりませんが盛岡から函館では10時間を要していました。それが
今や北海道新幹線の「はやぶさ」は盛岡・新函館北斗間 を2時間で結んで
います。実に五分の一に短縮されているのです。このスピードでは啄木が新天地を
求めて(多分)夜汽車で北海道をめざした時の感慨を想像するのは難しいかもしれ
ませんね。函館までの2時間、静かに啄木の歌を味わいながら北へ向かいましょう。

あたらしき心もとめて名も知らぬ 街など今日もさまよいて来ぬ

あたらしき背広など着て旅をせむ しかく今年も思い過ぎたる